プログラマによる技術記事を書かないブログ。

骨折の苦労と気付き

こっせつ  -  思い出シリーズ#10

小学生の時に2度の骨折を経験した。

2年生の時に左腕を、6年生の時に、右腕を。
右ききなので、6年生の時の骨折は苦労した思い出がある。

肘から手の甲、手のひらまで固定され、指先が出ているだけなので、鉛筆が持ちづらい。
なんとか持って書けないこともないのだが、変に力が入り、骨折部分が痛む上に汚い字しか書けないので、授業中は左手に鉛筆を持って字を書いた。
図工の時間も左手で絵を描いた。
得意の体育は残念ながら見学だった。
なかなか大変だったはずなのだが、苦労した思いより「大変なのに頑張ってるおれエライ」という自己肯定感が強かった気がする。
他に苦労したのは、ギブスの中が痒くて棒を突っ込んで掻いたりしたことと、臭かったことぐらいだろうか。

ギブスをして腕を吊った姿がわかりやすく「ケガ人感」を出してくれるので、ホントに苦労するところは周りの人が助けくれたんだろう。
いつもよりみんなが優しくしてくれるのが嬉しかったように記憶している。
骨折は1ヶ月で完治し、右手が使えない苦労も無くなったが、「普通の人」に戻ってしまったことに少し残念な思いがあったことはよく覚えている。

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今パラリンピック開催中なので、時々見ている。
たまに「この人はいったいなんの障害があるんだろう」とわからない選手がいる。
調べてみるとだいたい視覚障害か知的障害だった。
程度にもよるが、こういった障害は見た目に分かりづらいので、必要な助けが受けられなかったり、しんどい思いをしたりしたことだろう。
ギブスという分かりやすい目印があった僕はまだ恵まれていたのだ。
もちろん、治るとわかってる怪我と障害では比較にならないのだけども。

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「パラリンピック, 知的障害」などのキーワードでいろいろWebを調べ歩いていると、気づきの合ったサイトがいくつか合ったのでリンクを張っておく。

「妊娠を知らせるための『マタニティマーク』や、心臓疾患など他の障害を示すマークやシンボルが、さまざまな団体によって定められ利用されていますが、まだあまり知られていないものや、見かける事はあってもそれが何を意味するのかあまり認知されていないものなども多くあります。」
「あまり意識されていないかもしれませんが、パラリンピックはすべての障害者を対象とした大会ではありません。パラリンピックの出場者を障害者の典型像と考えれば、参加していない人達がこぼれ落ちてしまいます。大会は多様性を理解するきっかけとしては大事ですが、これがすべてということではない、ということは心に留めておくべきです」
「何か課題に感じていることはありますか?」
「速い人、上手い人が偉くなってしまうことですね。」

一般の人々が目にするパラリンピアンは一流のアスリートであり、支援を必要している障害者とは距離のある存在です。ですから、パラリンピアンの活躍を目にしたからといって、障害者一般への理解が生まれるわけではありません。また、一般の障害者にとっても、毎日トレーニングに励むことのできる環境に恵まれたパラリンピアンは手の届く存在とは言えず、決してロールモデルとなるわけではないのです。
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