プログラマによる技術記事を書かないブログ。

クモを殺した

くも  -  思い出シリーズ#8

あれは事故だった。
だが、クモを握りつぶしたあの感触は、まだはっきりとこの手に残っている。


誰しも虫を殺したことぐらいあるだろう。
蚊、蝿、ゴキブリなど、僕も今まで何匹殺したか分からない。

子供の頃なんか、アリの巣にコーラを流し込んで、慌てて出てくるアリの様子を観察したりしていたこともある。
夏休みの自由研究で、チョウやトンボ、セミ、カナブンなどを捕まえては標本にしたが、見栄えの悪いものは「ボツ」として捨ててしまった。
今思えば残酷なことをやったものだ。

20代の半ば、小学生の頃から飼っていた愛犬(このブログの犬のモデルがそれだ)が死んだ。
そのあとからだと思う。
その時の大変な悲しみとショックからか、蚊を殺すことすら心苦しく思うようになった。
いや、蚊はパチンと叩くこともあるんだが、以前のように、「この野郎、ワシの血は吸わせん!」と明らかな「殺意」剥き出しで殺すことはない。
「悪いが、ここにはいてほしくないんだ。すまない」と思いつつ叩く。可能な時は窓を開けて追い出したりすることもある。
ゴキブリすら、「すまんのう」という気持ちで叩く。

愛犬の死を境に、そんなふうになった。


愛犬の死から数年が過ぎた頃。
結婚してしばらく経った頃だったと思う。
たまたま家で一人で居た。
床に寝そべってテレビを見ていると、視界の端に虫らしき何かが動いた。
クモだった。小さなクモ。近づくとピョンと跳ねて逃げる。
逃がしてあげようと思い、捕まえようとするが、なかなか捕まらない。
殺すのは簡単だが、生かすのは難しいものだ。
クモがジャンプするのに合わせて、両の手の平をフワッと近づけ、手の平の中の空間に捕らえようとするのだが、そんなスローな動きではなかなかうまくいかない。
少しスピードを上げて何度かトライするうち、事故が起こった。
ちょうど空手チョップのような形で、クモを床に押し付けてしまったのだ。
グチャという不快な感触が手に残った。
その刹那、自分でも聞いたことのない声が自分の口から出たことに驚いた。
あえてカナで書くとすれば
「ゥグゥィ」。
人は予想外の事態に直面すると、言語も文化も関係ない、声でもない音のようなものを発するらしい。
思い切り押し付けたわけではなかったので、まだ死んでいない。足が動いている。
だがもう助からない。
せめて苦しみから解放をと思い、すぐさまティッシュの中にクモを包み込み、自分の中の葛藤を押し殺しながら最高の握力を込めて押し潰した。罪悪感と後悔、クモが潰れた生々しい感触が手に残る。

クモを殺した。
生かそうとしたのに殺してしまった事実にしばらく呆然とした。


僕は信心深い方でもないし、特定の宗教も信仰していないが、もし死後の世界があるなら、愛犬と再会し、また楽しく遊びたいと思っている。

そしてあのクモがいたら、今度はピョンピョン跳ねるのを何もせず見守りたい。

クモさん、すまんかった。
せめてこの記事が供養になりますように。


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